さてさて津山拓郎ふぁみり~の第2幕がスタートしました 12月15日地味庵で「ファイト」「危険な関係」など20曲 お楽しみに

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映画と読書のブログ

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2014/11/20 「聖なる怠け者の冒険」を読みました

 

2014/11/19「聖なる怠け者の冒険」を読みました!

「聖なる怠け者の冒険」(著者 森見登美彦)を読みました!(ネタバレなし)

何かと世知がらい世の中とうまく付き合って行くために必要なものがある。時には、アルコールに頼るもよし、車の中でひとりカラオケに興じるもよし、はたまた世捨て人さながら山にこもるも良かろう。しかし日々てんてこ舞いのわたしにとって絶対に欠かせないものはズバリ、ファンタジー。痛々しい現実は置いといて、ついついゆらゆらしたファンタジーへダイブしたくなる。そんな中、モリミーファンタジーは格別だ。たとえマンネリでもいい。このゆるい世界感が極上の麻薬になり、荒んだ心をほんわかモードにしてくれる。

浅倉鉄平

 

2014/09/24 「猿の惑星 新世紀」を観ました

2014/09/22「猿の惑星 新世紀」を観ました!

(C)2014 Twentieth Century Fox

 

 

 

「猿の惑星 新世紀」を観ました!

ただ何となく、観てしまうとただの猿と人の戦いの物語という凡作に成り下がり、映画史から無かったことにされた2001年のティムバートン監督版「猿の惑星」の二の舞いになってしまう本作。(辛口御免!)しかしひと度、戦争はなぜ起こるのか?と疑問を抱いて鑑賞すれば、私たちに戦争の発生原理を明確に示してくれて、他人事では済まされないと感じさせる、秀逸な作品となるでしょう。
エネルギーの奪い合い、武力のバランス崩壊、相手に抱く恐怖心、そして何より相手への理解不足。これらが絡み合い、誰も望まない結末へ突入してしまう。本作を観ると監督の主張は戦争の原理を知り解決策を皆で考えようという生ぬるいものにも思える一方、「続・猿の惑星」で描かれる驚愕のラストへの黙示録であり、人類の性だと冷たく突き放しているようにも思えます。ローマ法王が現代の世界情勢を第三次世界大戦だと懸念する今、警鐘を鳴らす本作品は一見の価値あり。
浅倉鉄平

2014/08/26 「闇の中の男」を読みました・・
2014/08/25
「闇の中の男」を読みました!

そんな中、本書と出会った。浅倉鉄平
2014/08/11 2014/08/11 「GODZZILA」を観ました!

 

2014/08/11「GODZZILA」を観ました!

 

「GODZILLA」を観ました!

久しぶりに映画を観て熱くなりました。前回(1998年)のハリウッド版 ローランドエメリッヒが監督したゴジラは酷いものでした。ゴジラをただのデカイトカゲ怪獣として撮ってしまったエメリッヒ監督に、世界中のゴジラファンは激怒。ただ今回のはバッチリです!今回はちゃんと自然=神を象徴するゴジラに畏敬の念が込めらていて、ラストの神々しいゴジラの雄叫びは圧巻。ゴジラ(=大自然)の前ではいかに人間の存在が小さなものかを感じさせられる作品でした。ストーリーや設定は若干荒さが目立ちましたが、そんな些細なものは吹き飛ばしてくれたゴジラの雄叫びにスタンディングオベーションを贈りたい。
 
 

浅倉鉄平

 

 

 

2014/05/16 読書まとめて5冊載せました

 

 

 

 

2014/04/07「昨日のカレー、明日のパン」

「ラストの余韻がすばらしい」

「昨夜のカレー、明日のパン」(著者 木皿 泉)を読みました!(ネタバレなし)

先日、国民的番組が終わった。フィナーレでは出演者が主人公である司会者の想い出を語って行く。皆、喪失感をあらわにし、番組が終了する明日を受け入れられない。それでも明日は続いて行く。そんな中、本作を読み終えた。25歳にしてこの世を去ってしまった一樹を中心に遺された者たちの何気ない日々が綴られて行く群像劇である。なくしたものをどんなに惜しんでもいつかは忘れさられて行く。昨日は去りゆき明日が訪れる。そして昨日と明日の間に今がある。去りゆく司会者が最後に残した言葉が日本中に余韻をもたらした。「明日も観てくれるかな」   浅倉鉄平

2014/03/31「とっぴんぱらりの風太郎」を読みました!

「忍びの切ない物語」

「とっぴんぱらりの風太郎」(著者 万城目学)を読みました!(ネタバレなし)

かつてこれほどまでに人間くさい忍者がいただろうか?失敗すれば他人のせいにし、危険が迫れば仲間を置いて逃げる弱小忍者の風太郎は職を失い荒んだ日々を過ごしていた。私は否応なく、この憎めない忍者に親近感を覚える。一通り感情移入が完了したところで、辛辣極まりない戦闘が繰り広げられ、手裏剣、火薬玉が縦横無尽に飛び交う戦場に私は立たされた。感情移入しているので臨場感が半端ない。ダメ忍者の烙印を押されながらもやる時はやる風太郎の姿に心を打たれ、子どもの頃、折り紙で作った手裏剣に想いを馳せた私の中の憧れが呼び起こされた。

浅倉鉄平

 
2014/03/24「去年の冬、きみと別れ」を読みました!

「新感覚ミステリー」

「去年の冬、きみと別れ」(著者 中村文則)を読みました!(ネタバレなし)

純文学的ミステリーだ。新ジャンルと言っても過言ではない。この作品ではノンフィクションノベルの先駆者カポーティの「冷血」が何度も取り上げられている。「冷血」は実際にあった殺人事件の死刑囚に取材しその病理を暴露した報道倫理に欠けると非難されたベストセラーだ。本作はこの「冷血」と同様、連続殺人犯に取材するシーンから始まり謎が深まる。そして「M・MへそしてJ・Iへ捧ぐ」という献辞が何を意味するのか。実はこの献辞が作品全体に思わぬ影響を与える。この献辞を小道具として使う作者の本意が掴めればラストも完全消化できるはず。    浅倉鉄平
2014/03/17「想像ラジオ」を読みました!

「難しいテーマに向き合う作者の勇気に賞賛」

「想像ラジオ」(著者 いとうせいこう)を読みました!(ネタバレなし)

震災を題材にした作品。難しいテーマに向き合う作者の勇気を感じました。あっという間の出来事だった為、大切な人に言葉を遺すことができなかった方の事を思うと胸が張り裂けそうになります。言葉を遺せないことが何よりも恐ろしいことにさえ思えます。しかしこの本には救いがあります。想像ラジオのDJアークの軽快なトークとラジオで紹介されるレクイエムが逝ってしまった人と遺された人とを繋ぎます。あの惨劇を目の当たりにしていない私が分かったようなことを言うのは罪悪感がありますが「想像ラジオ」のような世界があって欲しいと願います。     浅倉鉄平

 

 

 

 

2014/03/17 「ランチのアッコちゃん」読みました!

2014/03/17「ランチのアッコちゃん」を読みました!

「最高のバディ作品」

「ランチのアッコゃん」(著者 柚木麻子)を読みました!(ネタバレなし)

私は「釣りバカ日誌」が大好きだ。何を唐突にと思われるかもしれないが、本作を読んで再確認した。魅力を感じる最大の理由は、社長のスーさんとダメ社員の浜ちゃんが繰り広げるドタバタ活劇だ。上司と部下の関係を越え、いつも本気で釣りして喧嘩して。立場の違いや年の差はなんのその。本当の友情を育む二人の姿にわたしは憧れる。何故か釣りバカのレビューになってしまったが、本作品のアッコ女史と三智子の関係もそれと同じように感じた。相性抜群の二人の物語をシリーズ化し、浜ちゃんスーさんも嫉妬するほど、最高のバディ作品にしてほしい。

 

2014/03/11 「何者」を読みました

2014/03/03「何者」を読みました!

 

 

「若き天才作家が放つ、これはホラーかと見誤るほどの恐ろい人間模様」

「何者」(著者 朝井リョウ)を読みました!(ネタバレなし)

本音で語ることがダサいという風習がある世の中。本当は誰しも「何者」ではなく、カッコ悪さを剥き出しにして、本音を吐き出す場所がほしいはず。しかし世の中がそれを許さない。親友との飲み会、親との会話、本音を言えない虚しさは募る一方。実名であるFBやLINEでは「何者」になることに必死で、虚しさを埋めることはできません。皮肉にも、匿名である裏アカウントこそが現代人に求められるツールであるように思えますが、本音だけの世界は混沌とします。読後「何者」という後味の悪いタイトルがいつまでも心に残る作品ですが抜群に面白い。 浅倉鉄平

 

2014/03/11 「沖で待つ」を読みました

2014/03/03「沖で待つ」を読みました!

 

 

「芥川賞だが読みやすい」

「沖で待つ」(著者 絲山秋子)を読みました!(ネタバレなし)

誰かに自分のすべてをさらけ出したい方必見!ではその「誰か」とは誰がいいのか?それはズバリ同期。本作品を読めば、同期の大切さに気づかされる。恋人でもなく、友達でもなければ、あかの他人でもない。そんな微妙な距離感である同期という関係は、実は人生において唯一無二の存在。恋人にも友達にも打ち明けられない自叙伝のひとつや二つは誰にでもあるはず。でも然るべき時、どうしてもそれを打ち明けたい。そんなときこそ同期という絶妙な距離感が必要となる。その絶妙な距離に、信頼を寄せ合う主人公と太っちゃんとの関係が羨ましく思えた。 浅倉鉄平

 

2014/03/04 「生首に聞いてみろ」「奇譚を売る店」読みました!

2014/02/24「奇譚を売る店」を読みました!

 

「この本には何かがある。また買ってしまった。」

「奇譚を売る店」(著者 芦辺 拓)を読みました!(ネタバレなし)

レトロな装丁とタイトルに惹かれていたが、私は行きつけの書店で、何度もこの本を無視し続けていた。あくる日、書店の新刊棚の前をいつものように通り過ぎてやり過ごすつもりだった。しかし一旦は通り過ぎたが、二、三度横目で確認したら、何故か得体の知れない衝動にかられ、遂に立ち止まり手にとってしまった。「奇譚を売る店」。タイトルもデザインもフォントも何もかもが私の好奇心をふつふつと湧きたてる。にも関わらず、この本が醸し出す悪質な不気味さが今まで私を遠ざけていた。この本には「何かある。」「また買ってしまった。」

浅倉鉄平

 
2014/02/24「生首に聞いてみろ」を読みました!

 

「ミーハーミステリーへの挑戦状。玄人には超おすすめであろう。」

「生首に聞いてみろ」(著者 法月綸太郎)を読みました!(ネタバレなし)

「日本よ、これがミステリーだ!」とどっかで聞いたフレーズと共に、息巻く作者の様子が目に浮かぶ。にわかファンを拒絶し、玄人を唸らせる硬派な作品。伏線、謎解き、どれをとっても一級品。だが、どこか物足りない。理由は登場人物に魅力を感じられないからだ。まるでマネキンのような登場人物たちが織りなす物語は、完成前のプロットのように冷たい。この作品は露骨にカリカチュアされた主人公で視聴率だけを目論むミステリードラマにたたき付ける挑戦状だろう。余計な物を排除した純度100%ミステリーだが素人の私にとっては敷居が高かった。
 

 

2014/02/25 「藪の中」読みました。

2014/02/17「藪の中」を読みました!

 

 

「傑作古典ミステリー」

「藪の中」(著者 芥川龍之介)を読みました!(ネタバレなし)

これは凄まじい傑作だ。迷宮入り事件を表す「真相は藪の中」の語源となった本作。そのルーツにまず驚かされた!「ガッツポーズ」のルーツはガッツ石松からきていると知ったときと同等の衝撃だ。冗談はさておき、大正時代に書かれた作品にも関わらず、今なお、奇しい輝きを放ち、人の深い影を炙りだす。藪の中で見つかった男の死体を巡り、三人の関係者の供述がそれぞれ食い違う。いったい真実はどこにあるのか?何度読み返してもたどり着けない。彼らが語る真実は、彼らがそうあるべきだと考える真実に過ぎない。人間が極限状態に陥った際、腹の底で飼いならしていたはずの醜いエゴが、いとも簡単に、理性を飲み込む。善人だろうと罪人だろうとおかまいなしだ。読者は、誰もが持つエゴイズムという深い影を目の当たりにするだろう。                 浅倉鉄平

 

2014/02/25 「月と目」読みました。

浅倉鉄平

 

 

2014/02/17「爪と目」を読みました!



「女性目線で見た、女性の真実を静かに語るある種のホラー」

「爪と目」(著者 藤野可織)を読みました!(ネタバレなし)

二人称小説なので、馴染みがないということもあり、今まで経験したことのない不思議な感覚と恐怖に取り憑かれました。3歳の女児である「わたし」が父の愛人であり、継母となる「あなた」の人物像を冷たく、淡々と浮き彫りにしていく語り口がこの作品の魅力の根源になっていると感じます。例えばこんな描写。「あなたの容姿は、取り立ててすぐれたものではなかった。多少愛嬌があるといった程度だった」「あなた」を語る「わたし」。女性目線でみた、男性では決して見えない、女性の真実を静かに語って行くところが恐ろしい。         浅倉鉄平

 

2014/02/25 「蛇行する月」読みました。

2014/02/10「蛇行する月」

 

 

「桜木志乃流純文学」

「蛇行する月」(著者 桜木志乃)を読みました!(ネタバレなし)

本を開き「うんうん」と頷きながら、我を忘れる。いい歳して感情移入しっぱなしに気づき、ふと我に帰る。桜木紫乃さんの著書を読めばいつもこんな具合だ。彼女が描く登場人物達のいじらしいほどの仕草や素振りが読者の心を揺さぶる。「蛇行する月」の登場人物達もいちいち、いじらしい。例えありふれたストーリーでも彼女の巧みな描写にかかれば、たった今自分に起こっている事のように、時に微笑ましく、時に苛立ち、一喜一憂させられる。そのいじらしさは突如現れる。油断も隙もない。でも癖になる。「志乃流いじらしい純文学」とでも形容しよう。浅倉鉄平

 

2014/02/20 「翔ぶ少女」を読みました!

2014/02/10「翔ぶ少女」を読みました!

 

 

 

「ハートフルドキュメンタリータッチから一転!目を疑う展開」

「翔ぶ少女」(著者 原田マハ)を読みました!(ネタバレなし)

阪神大震災で両親を亡くした少女の成長を描いた作品。前半は震災復興ドキュメンタリー番組のような展開なので、ゆったりと少女とその家族を見守ることになります。物語が少しゆったりすぎたせいか、懸命に翔びたとうとする少女を横目に、狡猾な私は残りのページ数を確認する。まだ結構あるなと余計な心配をする自分に嫌気が差し出したとき、突如として「それ」は起こった!ハートフルドキュメンタリータッチから一変。夢か現実か!作者が仕込む極上スパイスが読者を飽きさせることなく最後まで釘付け。今回も魅せてくれますねマハ先生!      浅倉鉄平

 

 

2014/02/20 「小さいおうち」を読みました!

2014/02/03「小さいおうち」を読みました!



「淡々と綴られる太平洋戦争の身近な恐怖」

「小さいおうち」(著者 中島京子)を読みました!(ネタバレなし)

本来、戦争作品で中心になるのは非情な死を遂げた兵士やその家族のはず。しかし本作は違う。従来の戦争ものではエキストラ的な存在の人達がこの物語では中心となる。描かれるのは悲劇ばかりではない。戦時中でも楽しみもあれば、浮ついた心もあり、人間くささがある。淡々と綴られるタキの手記を読み進めているとふと「アンネの日記」を思い出した。そこに劇的なものはない。日常的な目線で戦争を描いた手法が、妙に説得力を帯び、ジワリと忍び寄る恐怖を私達に見せつける。零戦パイロットの物語が波紋を呼ぶ中、今これを読むと感慨深い。

2014/02/20 「でーれーガールズ」読みました!

「でーれーガールズ」を読みました!

 

「岡山限定ノスタルジーと適度なファンタジーが隠し味」

「でーれーガールズ」(著者 原田マハ)を読みました!(ネタバレなし)

出張先から岡山に戻る新幹線の中でこの本を閉じました。自分ではまだまだ青年と思っていてもこの物語に出てくる高校生から言わせれば「完璧におっさん」と断言されるであろう年代の私にとっては手に取るはずのない本。甘酸っぱい青春ストーリーなんて、フンと鼻を鳴らしていました。結局「でーれー」の言葉に惹かれ、本を開いてしまったが最後。普段、お涙頂戴作品には百戦錬磨と高をくくっていたこの私が、新幹線の中でコソコソとハンカチで目を覆う始末。やられた..。特に最後の一文にやられた。。。自称青年の諸君!この本を侮るなかれ!

2014/01/29 下町ロケット」を読みました!

下町ロケット」を読みました!

 

 

「きっと倍返しより面白い」

「下町ロケット」(著者 池井戸 潤)を読みました!(ネタバレなし)

ビジネスマンなら誰もが、幾度も自問自答する「仕事に対する情熱か金儲けか」私自身、社会人になってから10余年。20代の頃の情熱をわすれつつある、酸いも甘いもをボチボチ見えてきたお年頃。そんな中、見事に私の中のわだかまりを吐露させてくれたのが、この「下町ロケット」。「仕事への情熱か金儲けか」ありきたりなワードなので、何を今更と侮っていたのは束の間。読みはじめて数ページで、ぶん殴られた感覚を覚えました!いつしか主人公になりきり金儲けを忘れ、ロケットを作るという仕事に対する情熱に酔いしれる私がいました。絶賛の嵐。

 

2014/01/29 「楽園のカンヴァス」を読みました!

2014/01/27「楽園のカンヴァス」を読みました!

 

「絵画に造詣が深くなくても楽しめる美しいミステリー」

「楽園のカンヴァス」(著者 原田マハ)を読みました!(ネタバレなし)

まさかこんなに面白いとは...。興味のない分野の物語を面白いと感じたのは初めてのことだ。ひとたび読みはじめたら画家アンリ・ルソーの作品「夢」にまつわる美しいミステリーに引き込まれた。主人公はルソーを愛する研究家の織絵とティム。二人は伝説のコレクターからルソーの代表作「夢」と瓜二つの「夢を見た」の真贋を見極めて欲しいと依頼される。あの有名な作品「夢」はもう一枚存在していた!リミットは7日間!二人に渡された謎の古書。その登場人物はルソーと絵に描かれていた裸の女性。それとあの天才画家。傑作に隠された真実に迫る!

 

2014/01/22 「キネマの神様」を見ました

2014/01/20「キネマの神様」を読みました!



『映画好きな読者の心をガッチリ掴む作者の巧みな仕掛けに脱帽!』


キネマの神様(著者 原田マハ)を読みました!(ネタバレなし)

映画に魅了される登場人物たちが織りなすこの物語は、作中で紹介される不朽の名作とシンクロしています。人生に問題を抱える登場人物たち。その代表がギャンブル好きなダメ父ゴウちゃん。しかし彼が書く心温まる映画評論は名画を紐解き、問題を抱えた登場人物に生きるヒントを与えます。不朽の名作が言わんとする真のメッセージが、この「キネマの神様」という物語に舞台を移し、読者に届けられる。一粒で二度美味しいグリコ風の作品構成に作者の光るセンスを見る。さあ映画館に行こう!

2013/12/08 「キャプテン・フィリップス」を観ました。

 

 

 



「一見ハッピーエンドに思えるが、本当にそうなのか?ラストで魅せるトムハンクスの涙が訴えるものとは?」85点


「キャプテン・フィリップス」を観ました!(ネタバレなし)

ソマリア沖で海賊に襲われ見事に生還した船長の実話を元にした作品です。
ネットでレビューを見るとなかなかの好評価。...
レビューはだいたいこんな感じ。

「極悪非道な海賊と船長との手に汗握る攻防戦がハラハラして面白かった。」
「実話をもとにしたフィリップス船長の奇跡の生還ドラマに感動した。」

実は、私にはそうは思えなかったのです。
ましてやまったく別のドラマにすら思えました。

この物語の背景にはある厳しい現実があります。
ソマリアの海賊たちはもともと善良な漁師でした。しかし国が内戦状態に陥り、無政府状態になってしまいます。そこで各先進国が、ソマリア近海で魚を乱獲し、ソマリアの漁師は魚がとれなくなってしまい貧困にあえぎ、仕方なく生きるために犯罪に手を染めることになります。

本作品では、海賊たちは狡猾に描かれていません。ましては極悪非道でもありません。彼らがしたことは決して許されることではありませんが、彼らの生きるためにやっている必死さを見ていると考えさせられるものがあります。

印象的なのはラストのトムハンクスの渾身の演技。
あの涙が、観客に訴えるものはなにか?
それは助かった安堵感だけでは決してありません。
トムハンクスの涙が訴えたのは、彼らの辿った運命を知り、救うことができなかった悲しみや絶望感です。

この映画は、一見ハッピーエンドに見えますが、本当にそうなのでしょうか?

 

 

 

 

 
 
 
 
2013/11/23 「かぐや姫の物語」を観ました!

 

「一体何が罪と罰なのか。数々の伏線が示すものは?日本最古の物語の真実に迫る傑作」85点

「かぐや姫の物語」を観ました!

間違いなく賛否両論わかれる作品でしょう。
わたしはずばり傑作だと思います。...

批判される方の多くは、
「よく知っているかぐや姫の物語のまんまではないか?」
「ただの昔ばなしではないか?」
といった意見をお持ちではないでしょうか?

一見、原作とほとんどアレンジされることのない、誰でも知っているストーリーなので、色彩画の美しさに飽きてくると少々たいくつになるのも無理がありません。

ただ高畑監督が張り巡らした伏線をたどると原作の真実が浮き彫りになります。
少々長文で恐縮ですが、興味のある方だけお付き合いください。

以下ネタバレありです!
(といっても誰もが知る物語なのでネタバレではないですかね?)

この解釈は、暇人であるわたしのただの深読みです。
信憑性はないかもです。あらかじめご了承ください(笑)
「そんなわけねぇだろー!」と思われる方どうぞ、長~い目で見てやってください。

それでは日本最古の物語の隠された謎に迫ります!

まずどこか心にひっかる謎(伏線)を羅列します。

・物語冒頭翁が竹でかぐや姫を見つたとき、はじめは小人のような成人した姿(原作もこのとおりだそうです。)だったのが、なぜか急に赤ちゃんになってしまった。

・なぜ金や高価な着物が竹から出てきたのか?
翁自身の解釈は、「この子はお姫さまであり、高貴に育てるためのお金を授かった」とありますが、本当にその解釈でいいのか?

・劇中に何度も歌われるわらべ歌の意味深な歌詞
「まわれ まわれ まわれよ 水車」
「鳥・虫・ケモノ・草木・花~」

・帝に抱きつかれたかぐや姫が急に消えたのはなぜ?
なにを意味しているのか?

・帝に言い寄られた後、捨て丸に会いに行くかぐや姫。なぜ急に空を飛べたのか?その後急に消えてしまったのか?

・主題歌の歌詞が意味するものは?
「今のすべては未来の希望、必ず覚えているいのちの記憶。今のすべては過去のすべて....」

・最大の謎 姫が犯した罪と罰とは何を指しているのか?


かぐや姫の物語のテーマはずばり「輪廻転生」

そう考えるとこの伏線はすべて解消されます。

・物語の冒頭で成人のすがたの小人から赤ちゃんに戻ったのは、生まれ変わったことを表しています。そしてなぜ金や着物がでてきたのか?それは前世で罪を犯したかぐや姫に、現世で課された試練だと思います。富や名誉といった煩悩を捨て生きることができるか?と試されたのではないでしょうか?

劇中にで何度も口ずさまれるわらべ歌の歌詞。
「まわれまわれ水車」・・・・・何度も繰り返される輪廻転生をあらわしています。
「鳥・虫・ケモノ・草木・花~」・・・仏教用語である畜生を指しています。人や神以外の姿で生まれたもの。畜生に生まれ変わることもあるという仏教概念を示しています。作中でかぐや姫が、かえるやバッタをやさしく手で包むシーンや死んだこおろぎの死骸を憐れむような表情は、そのことへのメタファーだと思います。


帝に抱きつかれてすぐに消えたのは、姫に特別な能力が備わっていたということではなく、あそこで姫は死を選んだということを象徴しているのではないでしょうか?このシーンの前に翁に「帝の妻になれ」と言われたかぐや姫は「一旦は妻になったとしてもその後死を選ぶ」と言っています。

その後(死後)現世と来世のはざまに生きる幽霊のような存在になった姫は、召される前に、捨丸に会いに行きます。そして気持ちを打ち明けます。
「地位や名誉、財産(煩悩)なんかはいらない。貧乏でもあなたと居たい!」
そこでふたりは大空へ飛び立ちます。これはこの世に存在しなくなったもののもつ特別な能力なのか、幻想なのかはわかりません。最後の旅立ちの前に結ばれる感動的なシーンです。

姫が犯した罪とは、姫の前世の行いのことであり、罰は現世で試練に耐ること。現世で煩悩を捨て試練の乗り越え、すべての記憶を消されてしまい極楽浄土へ召される。そんな結末なのでしょうか?

ただなぜかはじめて聞くはずのわらべ歌をすべて知っていた姫。その記憶はおそらく前世の記憶。
そして主題歌の「いのちの記憶」がエンドロールで静かに流れ、物語の幕は閉じます。

「今のすべては未来の希望、必ず覚えているいのちの記憶。今のすべては過去のすべて....」

捨丸がキジを必死で追いかけ、体を張って捕まえるシーンは、「火の鳥」のシーンと似ています。これは、同じく輪廻転生をテーマにした「火の鳥」へのオマージュではないでしょうか? 

以上、ひとりよがりの深読み終わり!
仏教的教養がほとんどないわたしなので、間違いだらけの解釈かもしれませんが、ご清聴ありがとうございました(笑)
 
2013/10/15 「モールス」を観ました!


「血みどろだけが取り柄のホラー作品であらず」80点
 
「モールス」(DVD)を見ました!(ネタバレなし)
 
「怖いものみたさ」それは何のために人間に備わっている機能なのかは未だ不明ですが、誰しもが、たずさえている機能であるということは言うまでありません。その機能が活躍する舞台はホラー小説。読者はその機能(怖いものみたさ)をフル回転するはめになり、気がつけば、とりつかれたようにページをめくってしまう。まるでよくできた操り人形のように、作者にあやつられます。その作者の名はホラー小説の巨匠スティーブン・キング。最近、彼の作品にどっぷりはまり、「キャリー」「ミザリー」とたて続けに読了しました。
彼の作品がなぜここまで人を虜にするのか?描写がグロテスクだから?気持ち悪いから?
それだけではありません。
その理由は、彼は終始、ホラーを通じて「人」を描いているからです。
わたしは、キングの作品は「そんじょそこら」のホラーとは一線も二線も画すると断言します。
巷には単なるスプラッターホラーが溢れています。
超人気俳優が出演し、ワールドウォーのはずが、資金が底をつき、ラストはカプコンのバイオハザードのようにこぢんまりとした感じになってしまった、これぞハリウッド的ゾンビ映画。
賞味期限切れてまくっているのに、続編が作られ続け、きもちわるいだけのキャラクターが何度もテレビや井戸から飛び出してくる商業主義まるだしの日本のホラー映画。
これらの作品はグロテスクな描写や不気味なBGMで、単に人を驚かせるだけのものです。悪霊、エイリアンやゾンビがでてきて、血しぶきがあがる過激な描写だけのものは、実はそんなに怖くありません。
本当に怖いのは人の闇に潜む悪の心、残酷な社会や孤独。それを照らし出すために必要なのはリアリスティックな人間描写。
ホラーを通じて「人や社会」を描く。これがホラー作品に必要不可欠なものです。それがなければ、一部の人だけが喜ぶ、血しぶきビューだけの陳腐なものになってしまいます。
言い換えればホラーは「人や社会」を描くためのひとつの手法に過ぎません。
そんなホラー界の巨匠スティーブン・キングがある年の年間ベスト映画だと推薦する「モールス」は見事に孤独な少年と少女の友情と純愛を描いた、ホラーというよりヒューマンドラマの秀作です。
 
舞台はシンシンと雪が降る田舎町。主人公は女のこのようなナヨナヨした少年オーウェン。彼はいつも学校ではいじめられ、父親と離婚訴訟中の母親と二人で暮らす12歳の少年。母親は精神が破たんし宗教にのめりこむありさまで、家庭環境も最悪。そんな孤独な彼に転機が訪れます。彼のマンションのとなりの部屋に、女の子が引っ越してきます。彼女の名前はアビー。アビーを演じるのは映画キック・アスで話題になったクロエ・モレッツです。アビーは父親とふたりで暮らしていて、どこか謎めいています。彼女の部屋からは夜な夜なもれてくる、争うような声や激しい物音。どうやら彼女は父親から虐待されている様子。しかも主人公の少年と同じ年くらいなのに学校にも行かず、寒い冬というのに、いつも裸足。そしていつもひとりぼっち。あるとき少年が少女に『ぼくは12歳だけど君はいくつ?』と問います。
「12歳みたいなものかな….」と答える彼女。完全に心を閉ざしている様子。
次第に、主人公の少年は自分と同じように孤独な彼女に引き寄せられていきます。オーウェンのアイデアで部屋の壁越しにモールス信号で連絡を取り合うまでになる2人。
 
時をおなじくして、彼が住む小さな町で、残酷な殺人事件が起きていました。死体は首をナイフで裂かれ、木に逆さつりにされ、体内の血をすべて抜き取られている。そんな異様な状況。
 
実はこの猟奇殺人の犯人は、引っ越してきた彼女の父親の仕業だったのです。
 
本作品「モールス」の原題のタイトルは「Let me in」。日本語で訳すと「わたしを中に入れて」。
映画の製作会社はハマーフィルム。あのドラキュラ映画を作り続けた、怪奇映画専門の映画会社です。
実はこの映画は、ドラキュラ映画なのです。
女性の血を吸うドラキュラは、決して無理やり血を吸ったりしません。無理やりでなく必ず女性を誘惑し、合意のもとに血をすう紳士的ともいえる怪物。そこがドラキュラの魅力でもあります。
「Let me in」(わたしを中に入れて)は、ドラキュラが生き血を吸うために、ターゲットの女性の部屋の中に入るときに言うセリフです。
悲しくもドラキュラを愛してしまった女性は喜んで血を捧げます。そこには善悪や倫理は存在しません。
つまり「モールス」という作品は、「真の友情や愛があれば、善悪や倫理を超えられるはず」という強烈なメッセージを発します。もちろんホラーなので、過激な描写が大いにあり、血みどろが苦手な人にはあまりおすすめができませんが、涙なくしては見られない感動ヒューマン・ホラーなので、普段ホラーなんか見ない方にも是非おすすめです。人や社会の病魔を深くえぐりだすホラー作品は本当に面白いです。ゾンビ映画の巨匠 ジョージ・ロメロも最高の監督です。彼はゾンビを通じて現代社会を痛烈に批判します。

涙なくしては見られない、傑作ドラキュラ映画 「モールス」。
ホラー界の神様、スティーブン・キングのお墨付きの本作品。ぜひ試してみてください。
ちなみに、キングのデビュー作である原作「ミザリー」の映画がリメイクされ、11月に公開予定です。主人公ミザリーを演じるのは、またもやクロエ・モレッツ。おそらくモールスを観て絶賛したキングが、彼女を推薦したのでしょう。いじめられている少女の孤独、怒り、善と悪を描いた「ミザリー」こちらもおすすめです。時間があるかたはキングの原作を読んでから映画を観ることを強くお勧めします。
2013/10/06 「そして父になる」を観ました!


(C)2013『そして父になる』製作委員会
 

 「多くを語らない控えめの演出が最高の余韻をもたらす。何時間でも語りたくなる作品」95点

 

 「そして父になる」を観ました!(ネタバレなし)
 

 「もしも6年間育ててきた子どもが、血の繋がっていない他人だったとき、どうしますか?」
 

昔、誰しもが子どものころやった、もしも○○だったらどうするゴッコ。友だちに出題されたありえもしない“もしも“に悪戦苦闘した懐かしい思い出。いきなりこれと似た感覚が観客に襲います。
この"もしも"を冒頭から投げかけられた観客は、否応なしに、主人公 良多(福山雅治)の戸惑い、葛藤と選択を、固唾を飲んで見守ることになります。
 

 父になること母になることとはどういうことか?
この”もしも”のときにあなたならどうするか?
親子の絆の土台にあるものはなんなのか?血縁か?それとも?
あなたにとっての父親像とはなんなのか?
子どものファインダーから覗いた父親像を考えたことがあるか?
 

この作品は 考えたこともない疑問の嵐を観客に容赦なくぶつてきます。観る人にとってはホラー映画より恐ろしい切れ味抜群のテーマ。

 
特筆すべき点は主人公良多が多くを語らないところです。そのかわり、わかりづらく意味深な演出の数々がテーマをじんわりと炙り出していきます。ある登場人物のなにげないセリフやたったひとつのカット、表情、音楽。これらの地味な演出が観客に余韻を残し、日常的な子育ての一コマに一石を投じます。

 

 日本映画で、このような作品に巡り合えるのは、稀なことです。
 人気俳優が出演しているだけしか取り柄がなく、テレビドラマの延長で作った、商業主義まるだしの映画ではこうはいきません。この手の映画で共通していえる作品の質を下げている要因は、「いかにわかりやすく伝えるか」に重点を置いているところです。ある種の決まりきったルーティンワークとも言うべく常套手段は、観ているときはそれなりに楽しませてくれますが、その後は何も残さないはずです。
 特にひどい脚本の場合、その作品のテーマを主人公にそのままセリフで言わせるお粗末さをみせます。

 「おれはこの問題に対してこう思っているんだー!!こうあるべきだー!!」

これは非常に手っ取り早くわかりやすいですが、ストーリー性のなさ、テーマの浅はかさを自ら暴露しています。その弱点を煙に巻くかのように、意味もなくど派手な爆発シーンをもってきたり、人気俳優にお決まりのセリフを言わせたり、封鎖しなくてもいいレインボーブリッジを封鎖させたりといった意味なし演出のオンパレードを見せ続けます。
 

いい映画は多くを語りません。
ましてや主人公が口にしない。さりげなくみせていく。

そして映画を見終わった帰宅途中、一緒に観た連れ添いと何時間でも語り合える。これがいい映画の醍醐味です。

 「あのシーンでの主人公の表情が意味するものはこうだ」「あのセリフはこのことについてのメタファーだ」といった具合に大いに盛り上がれます。

 「映画を語り合うことができる」これぞ傑作映画の絶対条件ともいえる重要な要素だとわたしは思います。


またキャスティングや演技も申し分なく、特に福山雅治の演技がさえていました。まさにはまり役です。良多役は福山雅治以外ありえないとさえ思えました。
 一つ屋根の下の「こゆき~おまえがすきだ~」の棒読みのセリフを言わされた福山雅治はもうそこにはいません。彼が描きだすのは、もともと決して悪い父親ではない、良かれと思いただ必死で子どもを育てようとするひとりの親。

 作品のテーマを引き立てるわき役陣もこれまた素晴らしい。リリーフランキー、真木よう子、尾野真千子そして樹木希林、誰一人かけることが許されないと思えるほど各々の役割を果たしたそんなキャスティングでした。


 私が一番お気に入りの演出は最後のエンドロールでかかる音楽です。これが意味するものはなんなのか?
 答えをさりげなくきっちり提示してくれる完璧主義者の是枝監督に脱帽です。

 
今年20本近くみた映画の中では暫定ナンバーワンの大傑作です。

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2013/09/23 「許されざる者」を観ました!

(C)2013 Warner Entertainment Japan Inc.

 

 

「誰が許されざる者なのかをオリジナルより容赦なく描く、傑作をリメイクした傑作」90点
 
「許されざる者」を観ました!(ネタバレなし)
 
言わずと知れた巨匠 クリントイーストウッド監督が手掛けた傑作のリメイク。アカデミー賞はもちろんのこと数々の賞を獲得し、世界が絶賛した「許されざる者」を大胆にもリメイクした、まさに怖いもの知らずの李相日監督。オリジナル版の徹底したリアリズムと作品が発するテーマに対してきわめて忠実に再現し、オリジナルへの強いリスペクトを感じる大傑作ですが、李監督は、このオリジナル版傑作に対して大胆にもテーマを露骨にあぶりだすことを選択します。
リメイク版ではこの作品の大きなテーマである誰が「許されざる者」なのかが、容赦なく描かれています。
それはまるでオリジナル版のテーマへの執着の甘さを指摘するかのようです。
 
オリジナル版では 「地獄で待っている」とセリフを吐いたのは誰が誰にたいしてなのか?
リメイク版では その台詞を言うはずの人物が言わず、代わりに、主人公 十兵衛は女郎に対し、このセリフを吐き捨てます。これは何を意味するのでしょうか?
 
またラストシーンでもオリジナル版の甘さを指摘するかのように象徴的に描かれています。
リメイク版のラスト 十兵衛はどうなるのかオリジナル版の主人公ウィルとの違いを対比すればよりテーマが浮き彫りになるでしょう。
 
徹底したリアリズムでまったく新しい西部劇を描いたオリジナル版を忠実に再現し、リスペクトしながら、それでもラストシーンではアメリカンエンターテイメントとして終わってしまった作品の仇討をするかのように、だれが
2013/09/16 「レ・ミゼラブル大阪公演」(ミュージカル)を鑑賞しました!

 

「レ・ミゼラブル大阪公演」(ミュージカル)を鑑賞しました!

人生初のミュージカルなので、原作も読んで、望むことに!ただ完全版は5冊もあるので、わたしは児童向けのダイジェスト版にしましたが、これでも十分だと思います。私は映画版から観ましたが、演劇版ミュージカルにかなり近い形でリメイクされていることに気づきました。
演劇ミュージカル版ジャベール役の人は映画版ラッセルクロウより遥かに歌がうまかったです。
個人的にやはりユゴーの原作が一番好きです。特に原作はラストまでの伏線が素晴らしいです。あたりまえのことですが、原作はタイトルにもあらわされている「テーマ」がしっかりしています。演劇版、映画版は内容はもちろん素晴らしいですが、若干それが薄れている気がしました。

それぞれいいところもあり、あそこは原作がいい!あのシーンは映画版が素晴らしい!あのセリフはいい!といった具合です。特に、演劇版のカーテンコールでジャンバルジャンとジャベールが肩を組んで挨拶する演出が感動的でした!演劇版ならではの良さですね。

最近は、先に原作を読んでから映画や劇場版を観るのがマイブームですが、オリジナル版もリメイク版もそれぞれ良さがあります。それにはオリジナルが訴える「テーマ」を尊重しているかにかかっていると思います。「テーマ」が崩されてしまったら、その作品は真似て作っただけの商売道具に成り下がってしまいます。

原作を読み、映画を観たものでは「終戦のエンペラー」があります。映画化は典型的な失敗です。これは原作の「テーマ」を大きく歪めた代物で、とってつけたような2流ラブロマンスへ成り下がってしまいました。

原作の「テーマ」を尊重しリメイクすることは映画でも演劇でも音楽でもとても大切ですね。
すでに原作を読んでその「テーマ」に感動した「永遠の0」12/21の映画版がとても楽しみでもあり不安でもあります。

2013/07/22 「風たちぬ」を観ました!

 

 (C)2013 二馬力・GNDHDDTK

 

「宮崎駿監督が新たに挑む新境地のはずが」80点

「風たちぬ」を観ました!(ネタバレなし)
 
最近、スビルバーグの「リンカーン」を観て、天才の変幻自在さにあらためて驚かされました。ファンタジーたっぷりの「ET」や「インディージョーンズ」。ホラーパニックの「ジョーズ」。ナチスのホロコーストを描いた「シンドラーのリスト」歴史に残る戦闘シーンでファンの度肝を抜いた「プライベートライアン」。そして政治戦略だけを延々と描いたスピルバーグ作品ダントツの地味さを誇る「リンカーン」。すべてがほんとうにひとりの監督によって作られたものなのか?と疑ってしまうほどのもの。巨匠のレパートリーの多さに、猛暑対策もすっかり忘れ、脱帽しっぱなし状態のわたしです。そんな中、日本が誇るアニメ界の巨匠 宮崎駿監督作品「風たちぬ」が封切られました。

零戦の設計者・堀越二郎と作家の堀辰雄をモデルにした半自伝的なアニメ。主人公の二郎は明らかに監督の分身。言わずと知れた飛行機マニアの巨匠宮崎駿が、この分身である次郎の人間ドラマをどう描くかが見物。

作品は本当に良かったです。
ただ個人的には、テーマがテーマなだけに、ファンタジー色をもう少し消しても良かったのでは?と思いました。

ファンタジーが邪魔して零戦を創る男の葛藤を上手く描ききることができなかったのでは、と思います。
監督はこうコメントしています。

「誰にも罪悪を問えず、自分の責任範囲で精一杯生きる」
 
なるほど。さすがです。監督自身が飛行機や兵器マニアであり、また反戦主義者でもあります。監督自身がこの矛盾を抱えているはずです。彼はとっくに、その手の矛盾からはケリをつけたようですね。だから主人公が葛藤する姿は描かない。

それでも私は、ひとりの男がロマンを追いかけるが、恐ろしい現実と矛盾にぶつかり葛藤する、宮崎駿らしからぬ男のドラマが観たかった。

そう感じたのはこの作品のタイトルやテーマが発するただならぬ佇まいがあったから。何とも言い難い期待感を胸に劇場に足を運んだからです。本当は監督らしさの殻をやぶるつもりでいたのではないでしょうか?そう思えて仕方ありません。それだけ、公開前からこの作品にただならぬ意欲を感じていました。しかし、そうしなかった。あくまで宮崎駿監督らしさに固執した。

作品は本当に良かったですが
一線を越えていれば大傑作になっていたと思います。

ただそろそろ、巨匠にファンの度肝を抜いてほしかったです。
失敗してもいい、驚かしてほしい、手塚治虫、藤子不二雄、スティーブン・スピルバーグのように。。。。
2013/04/25 「ジャンゴ 繋がれざる者」を観ました!

 

 
「アメリカが目を向けたくない歴史の暗部にメスを入れる勇者タランティーノが放つ仇討映画第二弾」90点
 
「ジャンゴ 繋がれざる者」を観ました!(ネタバレなし)
 
何よりおもしろいのが、歴史の中で虐げられてきた人々のために、映画を使い仇討をし続けるタランティーノ監督。前作、彼の大傑作と謳われたイングロリアスバスターズは「パルプフィクション」を抑え、興行的にも大成功をおさめた傑作中の傑作です。1941年、第二次世界大戦中のナチス・がドイツ占領下のフランスを舞台に、ユダヤ系アメリカ人がナチスに次々と制裁を加えるという史実とは大きく異なる逆襲物語です。
新作、「ジャンゴ 繋がれざる者」の構図もそれと同じであり、今回は舞台を1860年代、奴隷解放宣言前のアメリカ南部に移し、凄腕賞金稼ぎの相棒、クリストフ・ヴァルツ扮するドクター・キング・シュルと一緒に、ジェイミーフォックス扮するジャンゴが白人の奴隷になっている奥さんを助けだすというあらすじ。
 
今回の悪役は、奴隷を冷酷に虐待する残忍な男キャンディを演じるディカプリオ。初の悪役に挑戦したディカプリオですが、これがはまりにはまっています。
映画の前半は、冷酷なキャンディが奴隷に対して虐待行為を繰り返していく様子を延々と描いていきます。奴隷どうしで殺し合いをさせ、その目の前で友人と平然とお酒を飲み交わすシーンや戦えなくなった奴隷を獰猛な犬をけしかけ食い殺されるシーンなどは、とてもまともには見ていられず、劇場内は観客の憤怒と憐れみが入り混じった感情が今にも溢れんばかりに、異様な雰囲気に包まれます。とくに彼の非情さをうまく描いているのが、骨相学を語るシーン。黒人の人骨を持ち出してきて、いかに劣等人種であるかと得体のしれない骨相学を用い科学的に証明しようとする様が極悪卑劣さの極みです。
 
長いハリウッドの歴史のなかで、様々なテーマの映画が大量に作られている中、実はこの「ジャンゴ繋がれざるもの」のように、奴隷がどれだけ虐げられていたかを描いた作品はほとんどありません。
それはアメリカが目を向けたくない歴史の暗部だからです。
 
今回の見どころのひとつはクリストフ・ヴァルツが演じる賞金稼ぎのドクター・キング・シュルツのキャラクターです。司法でなく暴力で遂行する商品稼ぎという生業に対するある種の汚れを彼は自覚しており彼がどこか冷めた視線で悪党に制裁を加えるのが印象的で心に残ります。
青い奴隷の衣装を脱ぎ、シュルツと友情の証である握手を交わし、相棒となったジャンゴ。
物語の終盤、キャンディに握手を求められるシュルツ。
そこで突如、犬にけしかけられ殺されてしまった奴隷のフラッシュバックが彼を突き動かします。ここでなぜか神経にさわる『エリーゼのために』がBGMとして流れ、劇場内は緊迫していきます。賞金稼ぎのプロとしてすべて計画的に実行してきた冷静なシュルツでしたが、彼は確かに「賞金稼ぎである自分の手は汚れているがおまえよりはましだ」と言わんばかりのある行動に出ます。
前作に続きクリストフ・ヴァルツの凄まじい演技が冴えわたり、主役はジェイミーフォックスでなく、ヴァルツだなと思わせるほどの存在感です。実はジェイミーフォックスの役ではじめにオファーがかかったのは、ジェイミーフォックスでなく、あの大スターウィルススミスだったそうです。彼が台本を読んだときに、この映画の主人公はジャンゴでなく、キング・シュルツだ。圧倒的な存在感のキャラクターがいるので主役がかすんでしまう。だからやりたくないと辞退したとかしないとか。映画を観たあと、ウィルスミスのエピソードも納得できるほどの演技を見せつけてくれます。2年連続オスカー受賞も誰もが納得の結果です。
 
前半に溜まりに溜まった憤り。シュルツの正義により戦いの火蓋が切っておろされ、大逆襲劇が幕を開けます。
とにかくクリストフ・ヴァルツとディカプリオがとにかく物凄い演技を魅せる本作品。少々血なまぐさい描写もありますが、役者の演技が冴えわたり、タランティーノ映画の秀作として名を連ねることでしょう
 
ちなみにウィル・ススミスは「素晴らしい作品だったよ。ただ、俺向きではなかっただけさ」と述べた…。
ジャンゴ役を断って出演するのは、彼が溺愛している息子ジェィデンスミスと共演しているどうでもいい映画。役者魂を忘れ、どこまでも親バカぶりを見せつけます。
2013/04/25 「シュガーラッシュ」を観ました!

(C)2013 Disney. All Rights Reserved.
 
「東映ヒーロー祭りも顔負けの世界最強のマーケッター、ディズニー王国の陰謀」75点

「シュガー・ラッシュ」を観ました!(ネタバレなし)

このたび「ラストスタンド」で、久々の俳優業にI came back!したシュワルツネッガーですが、長年のブランクからか、はたまた度重なるスキャンダルが原因なのか、シュワファンですら出戻り感をどうしても拭えません。
この映画が全米で興行的に大ゴケした事実がその印象をさらに強めます。

さてそんなシュワちゃんが少し前、プチ出戻りしていた映画が「エクスペンダブルズ」。アクション映画全盛期の1980年-90年代に、ハリウッドで大暴れしていたヒーローたちが顔を揃え真面目に血みどろアクションんをやったおバカ映画です。シルベスタースターローン、ミッキーローク、ブルースウィルス、そしてシュワルツネッガー。誰もが熱くなったアクションヒーローたち。

合言葉は『CGを使う映画なんかくそくらえ!』

ちなみにエクスペンダブルズとは日本語で消耗品たち…。そんな自虐的ともいえる、ノスタルジックな映画で話題を呼んだのも記憶に新しい。

さて前置きが長すぎましたが、今回紹介するディズニーの新作「シュガー・ラッシュ」はシュワちゃん世代にノスタルジーをとことん感じさせる映画です。

言い換えるなら 「エクスペンダブルズ」と「トイストーリー」を掛け合わせたような設定。子供はもちろんのこと30代40代男性にはたまらない映画に仕上がっています。映画の導入部でいきなり、ストリートファイターのゲーム機がスクリーンに映し出され「波動拳!」「昇竜券!」とやりあうケンとリュウの姿におじさんたちは感動を隠せません。
当然、その横で見ている子供たちがハテナマークを並べるのは無理もない話。

もちろん、おじさん世代だけ楽しませるのではなく、主人公ラルフがシュガーラッシュというメルヘンたっぷりでかわいらしいゲーム機に入り、かわいらしいヴァネロベとスリリングなカーアクションが観せてくれるので、劇場の女の子たちも胸を躍らせます。また男の子も楽しめるように、最新のポリゴンを駆使した超リアルシューティングゲームでの戦闘シーンも迫力満点で、少年の心を鷲掴み。最強のマーケッターディズニーのしたたかさに脱帽です。文字通り大人も子供も楽しませるマーケティング手腕には東映ヒーロー祭りも顔まけ状態。

またパックマンの悪役のおばけやストリートファイターのあんな人、こんな人までがカオス出演。これには親父たちのドリームチーム、エクスペンダブルズも影をひそめること必至です。

しかしこれで終わらせないのがマーケット王者ディズニー!

なつキャラを使いノスタルジーだけの小手先だけでは、大人たちを引率者としての役割から解放することはできません。
意欲的にも子供向ファンタジーと大人向け社会的メッセージの二重構造という離れ業に挑戦します。

この映画がすごいのは、子供狙いのファンタジーと大人へのノスタルジーで興行を稼ごうとする見え見えの作戦のほかに、現実社会を模写するような描かれ方をされていて、身につまされる想いを大人たちに募らせるという完成度の高いシナリオです。

若い世代におされ、時代交代を迫られる中、なんとか自分の居場所を探し求め奮闘するキャラクターの姿が大人たちの涙を誘います。

また誰もがやりたくない悪役を誰かがやらなければゲーム(世の中)は成り立たない。社会を存続させる為には、社会で暮らす各々がこのヒエラルキーに嘆くのではなく、現実の持ち場に身を置き、自分の場所に納得していくこと。

おじさんたち、男の子、女の子、家族みんな大満足で、この映画について語りあいながら、帰宅の途につける素晴らしい映画ですが、ただ一点おしかったのが、東映のヒーロー祭りのように、奥様がたをターゲットにすればもっと飛躍的に興行を稼げたのではないでしょうか。

東映おそるべし。
2013/04/23 「リンカーン」を観ました!

(C)2012 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION and DREAMWORKS II DISTRIBUTION CO., LLC

 

「今求められる真のリーダー像とはなにかと巨匠が問う、誰もが知る英雄の知られざる戦略」90点
 
「リンカーン」を観ました!(ネタバレなし)
 
巨匠スピルバーグの「リンカーン」には驚かされました。その理由は、リンカーンで有名な話といえば、「南北戦争」「奴隷解放宣言」「ゲティスバーグ演説」「リンカーン暗殺」といったところですが、巨匠スピルバーグはそれらを大胆にもカットするという戦略にでました。
 
ではこの映画ではなにが描かれているのか?本当にこれで大丈夫なのか?スピルバーグファンは不安を覚えます。
この映画のポイントはリンカーンが奴隷制度撤廃を実現するために、反対派である民衆党員に説得工作をしかけ、党内の派閥議員を(急進派)を懐柔し、いかにしてアメリカ合衆国憲法修正第13条へ賛成票を投票させるかという徹底的な政治戦略ついてです。そこにはリンカーンの英雄的でドラマティックな話は存在せず、ましてやは私がひそかに期待していた南北戦争の戦闘シーンなどは描かれていません。なんと150分という長い上映時間のあいだ、ただひたすら描かれるのはリンカーンの政治戦略のみです。
 
見どころはやはり同じ共和党員であるとトミー・リー・ジョーンズ扮する、サディアス・スティーヴンス下院議員との党内論争です。超左派のスティーブンス議員は、リンカーンが提唱する奴隷解放だけでなく、黒人に選挙権を与えるといった完全なる黒人の平等を目指しています。実はこのころリンカーンを含め完全なる平等を目指している人はいませんでした。つまり奴隷制度はひどいけど黒人と白人が完全なる平等だと思っている人は当時のリベラルな党である共和党でもほとんどいなかったのです。唯一完全な平等を目指すサディアス・スティーヴンス議員は、1776年のイギリスからアメリカが独立する際の独立宣言の中に、「すべての人間は神によって平等に作られた」と書いてあるではないかと主張します。一方、民主党員はそれがあてはまるのは白人のみで黒人は除外されると反論します。今では考えられないとんでもないことを平気で言う奴隷解放反対派の議員たち。サディアス・スティーヴンスが完全なる平等を唱えるので、民主党員は引けるに引けない状況になってしまいます。そこでねじれる国会をまとめるためにリンカーンが打った一手は、まずは身内を説得すること。超左派の頑固ものスティーブンスに歩み寄ることを選択します。
 
最終的な目標は完全なる平等だが、それでは 民主党院が納得しないので、今は法的な平等だけにしておいてほしい、つまり穏便にしてほしいと申し出ます。
 
この映画のメッセージは、実現すべき大事なことが存在する場合、真のリーダーというものは党を超えた立場で決定していくことが必要であり、それを実現させるためにはどこまで妥協させるか、どこまで説得できるかが重要であるということです。
 
 実は、巨匠がこの映画に秘めた想いは、現在のオバマ大統領に対してのメッセージでもあるのです。
 
2010年にオバマ大統領が成立させた医療保険制度改革法。
本来、オバマ大統領は日本やヨーロッパ諸国と同じように国民健康保険を作ろうとしました。ところが野党である共和党から大反対をうけます。その理由は、共和党のバックには、既得権をもつ民営保険会社がついているからです。国民健康保険がすべての国民が加入すれば巨大企業である民営保険会社が破たんしてしまいます。
 
南北戦争以前から南部では広大な土地で行っていたプランテーション農業が産業の主軸。運営維持するには黒人の労働力が必要でした…。
ここでオバマ大統領がとった戦略は、リンカーンと同じように妥協案打ち出すことです。最終的には保険にどうしても入れない人だけを国が負担する法案に妥協しました。
 
150年前に完全な平等でなく、奴隷解放のみにとどまらせた妥協案が、後世の1963年、リンカーン記念公園で「わたしには夢がある」と演説したマーチン・ルーサー・キングやケネディ大統領の時代に引き継がれ、現在では、黒人が選挙権を獲得できただけでなく黒人が大統領になれる時代を作りました。あの妥協案があってこそ現在につがっていると思います。
 
リンカーンの偉業は100年、200年たっても永遠に語り継がれます。
それと同様に、このときに奴隷解放なんかばかばかしいと言い、反対票を投じた民主党議員の名も歴史に記録されます。あのとき反対していた議員は、150年たった現在だけでなく未来でも永遠に笑いものとなります。
 
大事なのは、未来を見ること。
リンカーンはこう言っています。
「この法律を通すことが虐げられている400万人の黒人を解放するだけでなく、将来この黒人の子孫である何千万何億の人々も解放することになる。だから今、なにがなんでもこの法案を通す。そのためにはどんなことでもやる」
 
またこの映画の見どころはほかにもあります。それは何といってもダニエル・ディ・ルイスの素晴らしい演技です。わたしが知っている「ラスト・オブ・モヒカン」や「ギャンブ・オブ・ニューヨーク」のダニエル・ディ・ルイスではなく、彼の新バージョンともいえる新たな一面が観られます。苦悩する英雄を見事に演じきった彼の演技に脱帽です。特に、かなしみと優しさを帯びた眼差しや苦悩で心労しきった印象を与えるしゃべり方や少々甲高い声がとても印象的でした。むかし本で読んだリンカーンのイメージそのものでした。
 
ちなみに製作起案当初は、ディ・ルイスではなくリーアム・ニーソンがリンカーンを演じる予定でした。スピルバーグの傑作「シンドラーのリスト」のあのリーアム・ニーソンです。年齢が違いすぎるとのことでニーソンは辞退したそうです。ニーソン版リンカーンをちょっと見てみたい気がしていましたが、ディ・ルイスの演技を目の当たりにしてその気持ちは一変。
また、あの時代に、トミー・リー・ジョーンズ扮するサディアス・スティーヴンス下院議員が完全な平等をなぜ求めたのかが、映画の終盤に明かされます。このシーンはとても胸が熱くなります。
ここでようやくスピルバーグらしい演出が観られます。
 
この映画は「南北戦争」「奴隷解放宣言」「ゲティスバーグ演説」「リンカーン暗殺」といった有名なシーンがほとんどなく全体的に地味な作りですが、随所にスピルバーグらしい演出が散りばめられており、お涙頂戴の英雄物語になりすぎず、真のリーダー像はなにかを明確に提示しています。
 
やはりスピルバーグは天才です。
捻じれてばかりで何ひとつ大事なことが決まらない、現代の日本やアメリカ。
真のリーダーが求められるこの時代で、巨匠スピルバーグが英雄リンカーンの知られざる一面を描く、今見るべき傑作です。